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「創価学会『ニセ本尊』破折100問100答解説」


ニセ本尊破折解説目次

大白法「創価学会『ニセ本尊』破折100問100答解説」より転載
     
第一章 日蓮正宗の本尊
日蓮正宗の正しい本尊について教えてください。

日蓮大聖人はなぜ御本尊を顕わされたのですか。

「人法一箇」とはどういうことですか。

「本門戒壇の大御本尊」とはどういうことですか。

「一閻浮提総与の御本尊」とはどういうことですか。

戒壇の大御本尊と各家庭の御本尊との関係を教えてください。

学会版の経本で抹消した二座の観念文のうち、「久遠元初自受用報身如来の御当体」の意味を教えてください。
第二章 創価学会の本尊観
創価学会の本尊観は昔から一貫して変わらないのでしょうか。

「御本尊は幸福製造機」という考えは正しいのでしょうか。

池田大作は「もはや本尊はどれも同じ」といっていますが、正しいのでしょうか。

学会では「本尊は我々の胸中の肉団にある」といいますが、本当でしょうか。

「信心の二字の中にしか本尊はない」という考えは正しいのですか。

池田大作は「日蓮大聖人は宇宙の根本法則を一幅の漫荼羅に御図顕なされた」(池田スピーチS五六・一・二六)といっていますが、この考え方は正しいのですか。

学会では〝宗教的権威は不要、信心は御本尊対自分である〟ということを強調しますが、このような考えは正しいのですか。

現在、創価学会では「総本山へ参詣しなくてもよい」と指導していますが、戒壇の大御本尊へのお目通りを拒否して、家庭の御本尊を拝むだけで功徳はありますか。

戒壇の大御本尊を離れた「御本尊根本」という考えは成り立ちますか。

本門戒壇の大御本尊を根本として信仰していれば、日蓮正宗から離れても成仏はできるのでしょうか。

「御本尊根本」であるならば、正しい信仰といえるでしょうか。
第三章 『ニセ本尊』について
なぜ学会で授与する本尊が『ニセ本尊』なのですか。

総本山第二十六世日寛上人の御本尊を『ニセ本尊』と呼ぶのは日寛上人に対する冒讀ではありませんか。

日寛上人の御本尊を複写したものを、なぜ宗門では「日寛上人の本尊ではない」「日寛上人のお心に背く大謗法」というのですか。

学会では「宗門が御本尊を下付してくれないので、やむをえず複写して授与することになった」といっていますが、本当ですか。

拝む人に「信力」「行力」があれば、複写本尊でも「仏力」「法力」を発現する、という主張は正しいのですか。

「ニセ本尊」を拝むとどうなるのですか。

「『ニセ本尊』に功徳がない」ということは、学会員が拝んでいる従来の御本尊には功徳があるということですか。
第四章 日蓮正宗の信仰
日蓮正宗の「信仰」とは何ですか。

「広宣流布」の本当の意味は何ですか。

「令法久住」と「広宣流布」とはどのような関係にあるのですか。

学会では「宗門は法主信仰だ」といっていますが本当ですか。
第五章 創価学会の信仰観
秋谷会長が「学会は『御書根本』として進んできた」と指導していますが、「御書根本」という考えは正しいのですか。

学会でいう「大聖人直結」は、正しいことなのですか。

学会でいう「人間主義」は、どこが間違っているのですか。

池田氏がいう「大宇宙の生命のリズムと小宇宙である自分が合致するために唱題をする」という考え方は正しいのですか。

「信心の血脈さえあればよい」という学会の指導は正しいのですか。

学会では「現在の宗門は狂っているから、宗門に従っても功徳はない」といっていますが本当でしょうか。

学会には、「池田名誉会長が『世界の指導者』として世界各国から称賛されることが広宣流布につながる」という考えがありますが、これは正しい考えでしょうか。

学会員は「学会のおかげ」「池田先生のおかげ」と指導されますが、これは正しい指導なのでしょうか。

学会では“先生と自分との関係を忘れない信心こそ功徳がある”との指導をしていますがこの考えは正しいのですか。

「学会員が増えることが広宣流布」ということは正しいのですか。

学会は「創立以来、一貫した信心」(聖教新聞 H五・九・一八)といっていますが、はたしてそうでしょうか。
第六章 血脈について
「唯授一人の血脈」と「信心の血脈」とは同じものですか。

唯授一人の血脈を否定して「御本尊根本」を唱えることは矛盾するのではありませんか。

学会では「信心唱題によってのみ法体の血脈を受けるのであって、決して法主一人に法体が伝わるわけではない。法体の血脈なるものが法主のみと説くのは邪義」(聖教新聞H五・九・二〇 取意)といっていますが、そうなのでしょうか。

「創価学会こそは、現代における唯一の『信心の血脈』を受け継ぐ和合僧団である」(聖教新聞H五・九・一八)といっていますが、本当でしょうか。

日蓮正宗の僧宝について、『当流行事抄』には日興上人に限るとあり、『当家三衣抄』には「御歴代の諸師」とありますが、どちらが正しいのですか。

学会では「宗門は自らが、三宝の次第を越えた法主信仰を立て、僧宝としての働きを失っている」(聖教新聞H三・一一・二〇取意)といっていますが、本当でしょうか。

学会では「相承」や「相伝」とは別に「血脈」があると立て、「血脈は信心の次元の問題であり、大聖人と自分自身の師弟の問題である」(聖教新聞H五・九・二〇取意)といっていますが、本当でしょうか。

「血脈相承の内容についても、『相伝書』がすでに内外に公開されている現在、法主一人に伝わる法門などない」(聖教新聞H五・九・八取意)といっていますが、本当ですか。
第七章 御本尊の書写・授与について
御本尊の「書写」とはどういうことですか。

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